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介護の現実を描きます。ITトピックスをお知らせします。旅と歴史を描いた私のHP「日本ぶらり歴史の旅」(英文もつくってあります)http://www.ab.auone-net.jp/~nut/にもぜひアクセスしてください。


by burari-skuri

5.老い 不思議と取れてきたギックリ腰の骨の痛み

負けてはダメだ-精神を奮い起こして残りの人生を人類・社会のために使わなくっちゃあ

 (7月18日) 悠一郎は、四、五日前から不思議と起きるときに激痛が走らなくなり、寝返りもうてるようになってきました。1日1食は外食をし、夕食は精神を奮い起こして自分で料理をつくるようにしています(水分を取るために最低、サラダと味噌汁はつくるようにし、そのうえ食事が終ったら、根菜ジュースや25種類野菜ジュースをコップ1杯飲むようにしています)。ところが、精神を奮い起こしてなどと思うこと自体が自分は病気なんだと認めているわけで、この気持ちををなくそうと努力することにし、生地でいかなきゃダメだ。水分摂取と栄養補給の条件を満たすことにとらわれると食べすぎになるので、気ままにいくことにしました。

 昼食時は5000歩ぐらい歩くように心がけています。しかし、二、三日前までは途中でその場にへたりこみたくななったのです。腰の周りにタガがはまっていてそれがぐいぐい締め付け、下方に引っ張られるような痛みを感じたのです。しかし、それがおしまいでした。17日には、毎週通っている整形外科まで往復40分歩いても平気になりました。

 「まだ完全ではないが、確実に良いほうへ向かっている」。こう思いだしたのですが、どうしてどうして、痛みはなかなか頑強です。公子はときどき電話をかけてきて、励ましてくれます。というのは87歳の次兄が肺気腫で5月に意識不明のまま息をひきとったのについで、赤ん坊のときに養子に出た85歳の三兄がはたまた肺気腫で入院し、こちらは水を抜いたのち良くなって退院したからよかったものの、旧満州国時代のクラスメートたちのうち、広島、大阪の幹事役を引き受けてきた学友が3人も肺気腫やガンで急逝してしまった精神的ショックが大きいと思います。これらのことに影響されて弱気になると、腰まわりが痛んでくるのです。

 7月14日には、この台風が襲ってきたなかで、旧満州の首都新京(いまの長春)中学時代の学友8人が集まりましたが、そのうち6人までが心臓病や前立腺肥大ガンや胃ガンなど、何かしら病に犯されているしまつです。悠一郎もみんなに、「おまえ、がじがじにやせたなあ。大丈夫かい?」と言われました。なるほど、悠一郎は前にも書きましたが、50数年前に当時としては先端医療であった胸郭成形手術を受け、肋骨を6本切除していて胸がくぼんでいるので、餓鬼のようにがじがじに見えたのでしょう。

 とにかく、悠一郎は回復過程にある自分は、天に生かされているのかなあと思ったりしています。おまえは人類・社会のためにやり残したことをやれと天から命じられてているのかもしれません。まずやることのひとつは板橋区の江戸時代の史蹟めぐりのホームページの拡充です。悠一郎のホームページは日英両版が用意されていて、英文版は外国人がわかる英語で書かれてたとえば「祇園精舎の鐘の音諸行無常の響きあり。沙羅尚樹の花の色、盛者必衰の理(ことわり)を表す」というあの平家物語の冒頭の有名な一句が外国人にわかる英語で訳されています。それを板橋区の史蹟めぐりとドッキングさせることです。

悠一郎の顔を見て喜ぶ幸子

 7月16日には、バスと電車を乗り継いで、一人で幸子が入っている病院へ面会に行ってきましたが、途中でへばることはありませんでした。悠一郎が病室へ入ったとき、「お母さん、お父さんだよ。わかる?」と幸子にいうと、「わかるよ」と答えました。目と目があったとたん、幸子は二、三歳児が興奮するように喜びを表しました。そして「ハア、ハア」と息をはずませるのです。もう目は遠い遠い別世界を見てはいません。息をはずませるのでした。「ハア、ハア」という興奮状態はずっと続くのでした。

 悠一郎は女性の介護士の人に「このような興奮状態はいままでもあるのですか?」と聞いてみると、喜ぶときにときどきあるけど、長く続いても心配はないということでした。様子を聞くと、胃ろうの調子がよく、病院へ帰ってきた段階で中心静脈からの栄養補給は必要ないということで管ははずした、週に2度入浴できているという話でした。「そうですか。それを聞いて安心しました。お世話になりますね。よろしくお願いします」。悠一郎は安心しました。

 そこへ男性の介護士の方がやってきて、「椅子をどうぞ」とすすめてくれました。「幸子さんはわれわれに向かって、ときどき冗談を言いますよ」 、「昔から人のことを良かれと思って気配りをしてきましたので、みなさんに感謝、感謝の思いからですよ」、「そうですか。われわれは冗談を言ってもらうと嬉しいし、励まされます」。こんな会話が取り交わされました。悠一郎が椅子に座って視線が合わなくなると、目と目は合いませんが、黒い瞳はもう遠い、遠い別世界を見てはいません。こっちの世界にいてくれます。しかし、あい変らず「ハア、ハア」は続いています。

 悠一郎は幸子の手をにぎりしめてやりました。汗ばんだ暖かな手です。少し「ハア、ハア」が落着いたような気がしました。家にいるときに回転椅子に1日座っていて、竹で編んだところを落ちまいとして、ずっとにぎりしめていたときのままの状態です。あいかわらず強くにぎりしめてきます。「お母さん、大丈夫だよ」と声をかけると、おたがいを思う気が通じたように感じました。

 この日は3連休の終わりの振り替え休日に当たっていたので、当直の職員の方々だけに会うことができました。暑くなってきたのでおそろいのパジャマは白の甚平スタイルに変わっていました。

 「またくるからね」と言って帰るのは切なくなり、さりげなく何も言わずに去ることにしました。「そのかわりに頻繁に面会にくるからね」、悠一郎はこう決心して独り暮らしの家路についたのでした。
by burari-skuri | 2007-07-04 09:44 | 介護・老い