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by burari-skuri

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かつてのピカイチ言語FIORTRAN、COBOLはいまや骨董品

 いま問題の年金積み立ては確か厚生年金から始まったと思うが、外国機の超大型コンピュータ(当時の超大型といえばIBMかユニバック製しかなかった。確か初めは総理府統計局がIBM製を導入し、厚生年金の処理に当たっていたと思う)を入れ、当時のピカイチ言語FOTRANまたはCOBOLで書かれた。

 国産メーカーは産業の黎明期にすぎなかった。筆者は当時からおなじみの年金手帳を見たような気がする。

いまや骨董品FORTRAN、COBOLがわかるシステム・エンジニアはめったにいない

 昨今は団塊の世代の退職ラッシュである。団塊の世代はFORTRAN、COBOLを習った最後の世代とわれる。新聞によれば、社会保険庁は年金手帳をコンピュータで読み取るプログラムを開発した。しかし、何百万件かの年金手帳の原本は地方自治体で破棄してしまったのだからどうしようもない。

 もしマイクロフィルムに原本を撮影したから問題ないからといっても完璧を保証されたわけではない。原本を破棄していない年金手帳にしてもコンピュータで読み取るサンプル調査では多額の費用と年月がかかるようである。これは年金手帳が破棄されなかった件数についてである。

こういう事実は、国民の前で初めてオープンに交わされた与野党間の質疑応答で白日のさらされたのであり、民主党が求めている当時破棄を決めた3人の証言を自民党の某氏が勝手に議事録から削らせたなど行為がみられたそうである。

 ガソリン税の一般財源化にしても質疑応答が進むにつれて税金の無駄使いがいまや既得権化していることがさらけだされた。言語道断である。

楽をするためと既得権を温存するためになんでもサービス・ビジネス化

 グローバル化の一環としてサプライ・チェーン・マネジメント(略してSCMという)が進む。2、3日まえにNHKがアメリカのヒラリー・クリントンとオバマの接戦をほうじていた。その一環としてSCを追求するソフト会社役員を突然辞めさせられた人の話が出ていた。
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by burari-skuri | 2008-02-12 19:44 | 論点
生身の家族を傷つければ死んでしまう

 毎日のように家族を家族とも思わず殺傷するニュースが報じられる。18歳にもなって仮想現実と現実との区別つかないのだ。若干技術的になるが、そもそもvirtual realityは昔は事実上のメイン・メモリーという意味に使われた。つまり、昔は半導体の容量が小さかったので、頭のいい技術者がその容量を超えたプログラムを書いておいてドラムに蓄積しておき、必要時にメイン・メモリーにそのプログラムを移すソフトウェアを開発したのだ。

 誰が訳したか知らないが、これを日本語で「仮想現実」とやってしまった。一方、インテルの創立者の1人であるゴ-ドン・ムーアは半導体の容量が2年ごとに倍になるというムーアの法則を発表していたが、その後の発展は予測どおりになり、いまやパソコンは最も半導体の容量とスピードを食う映像と音声を問題なく処理できる機能を持つにいたった。いまやパソコンのメインメモリーはXギガという容量とスピードをもっている。これを予見して日本語に訳したとすれば、訳者はよほど頭のいい人といわくてはならない。

 とにかく、いまのパソコンインターネット上で写真や漫画やゲームを自由自在にやりとりし、再生できる。これらの人工現実では表現自由で、格闘シーンでこれでもか、これどもかと相手を倒し、相手は打たれても、うたれても、立ち上がってむかっていく。筆者はそのゲームソフトを見たことがないが、親や家族を傷つけるよう指示する悪魔的な神があるらしい。

 筆者が現役でIT評論をやっていたころ、ゲームを開発しているソフトウェア技術者を取材したことがあるが、彼らは良心がとがめられながらやっているといっていた。

 問題は18歳にもなって現実と仮想現実の区別がつかないような状態を放置し、親や家族を大事にするたことを教えなかったことである。詰め込み教育に腐心し、心を失った結果である。筆者が思うに、大部分の青少年はいまでも大部分の青少年は健全である。昔は小学校のときに修身という授業があって目上の人は敬うまうべきもの、弱者は助けるべきものということを教えられた。子供は水、教育は器である。

高学年でないと歴史的思考なし

 いまは自主的にものを考えさせようと、歴史の授業がなくなって社会という授業が設けられた。これは筆者の自立支援デイ・サービスでの経験だが、施設の職員があまりにも歴史を知らないことに驚かされる。

 例えば昔の「小学校」のひとつ新田義貞の「稲村ガ崎」を歌うときに鎌倉の鶴岡八幡宮には話が及ぶ。鶴岡八幡宮といえばいまでも祖父北条時正にそそのかされ、源頼朝、頼家と二代続き、時の三代将軍実朝が参拝するおりに銀杏の木陰から飛び出し、実朝を暗殺し、直ちに捕らえられ処刑された公暁の歴史はあまりに有名だ。今やその銀杏は大銀杏になっている。視の事実を全く知らないのだ。

 「これがあの銀杏の木か」と知っていたら、もっと幅広い人生が送れるのにと思う。この間、小学校6年生の歴史ものものの読書が好きな孫が鎌倉幕府滅亡の歴史を調べに行きたいと言う。われわれは中学低学年の歴史教科で鎌倉幕府の最後の執権北条高時が東勝寺で一族郎党ともども自刃して果てたことを習った。

 頼朝は武家政治を創設したが、源は三代、27年にして北条氏にのっとられた。古代ローマ帝国は1200年続いた。なぜか?猜疑心の強い頼朝は、弟義経、範頼を謀反の下心あると疑って殺してしまった。ローマは1200年も続いた理由のひとつは、征服した国に有能な人物がいれば、例え奴隷であっても自分の息子にさえしてひきたてた。

 こうした事実を知っているだけでも鶴岡八幡宮にいったときに受ける感性は違う。歴史の教科の復活を切に望む。
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by burari-skuri | 2008-02-11 22:00 | 論点