介護の現実を描きます。ITトピックスをお知らせします。旅と歴史を描いた私のHP「日本ぶらり歴史の旅」(英文もつくってあります)http://www.ab.auone-net.jp/~nut/にもぜひアクセスしてください。


by burari-skuri

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歴史上耳を疑う都市集中現象が起こっている-なぜアメリカは中国を重要視しているか

 筆者は中国大連で生まれ、敗戦時親は旧満洲の首都新京(いまの長春)に住んでいた。このあいだ、旧制中学校の学友が60年ぶりに中国に行ってきた。彼の話を聞くと、中国がまるでキャンバスに絵を描くように長期戦略を展開していることがわかる。中国がいかに爆発的に発展しつつあるかは、都市人口の増加をみればわかる。

 すなわち、旧満州時代には新京の人口は36万人で、これに関東軍の軍人を加えても50万人であった。それがいまの長春の人口は750万人に膨れ上がっている。これは実に15倍である。
 
 長春  旧満州国時代 関東軍を入れて50万人  現在 750万人 実に15倍
 大連  敗戦時     70万人  大連は初代満鉄総裁に明治政府の後藤新平が就任、
      2000年にここを訪れた旧制吉林中学校の学友の調べた人口は534万人。
      大連は、後藤新平前にロシアが築き、後藤が自由港として街を整備したことで
      知られる。学友がここを訪れてから7年が経過した。大連の中国共産党政府に
      なってからも自由港の地位は不変である。長春の増加率を当てはめると敗戦時
      の70万人を15倍すると1050万人となる。
 
 最近NHKが放映した中国報道番組によると重慶の人口は2800万人。これは耳を疑う膨張と表現すべき増加だ。

キャンバスに絵を描くように欧米並みの環境づくりを進める

 中国は広大の土地をもつ。だが、資源と穀倉地帯は東北行政地区(旧満洲)が最も豊富なのである。旧満洲の中央部にあたる瀋陽は、清の前身満洲族「愛真覚羅(旗人といい、溥儀、溥傑のように姓名が2字)」の首都で、北京の故宮はこれにちなんで名をつけられた。瀋陽には北稜と南稜という宮殿がある。

 北京オリンピックを契機に中国政府は、広大な土地に欧米並みの環境を整備しようと、まるで白いキャンバスに絵を描くように投資しつつある。各地を60年ぶりに見てきた学友の観測によると、まるでフランスでよく見る道路の両側の防風並木のようにどんどん植えつつある。つまり、ハイウェイを好きな場所を選んで整備し、その両脇には防風並木を植えつつある。 

 中国は昔から春秋戦国の歴史が示すように地続きであり、高潔な人物がいると同時に食うためなら何でもやる人物がいる国である。資本主義国のビジネス環境にもなれていない。しかし、
中国政府は改革の名のもとに急激な投資を進めており、遂に外貨保有高で世界1位となった。これが格差問題となり、最近は国際的にもいろいろな問題を引き起こしている。

 しかし、世界の工場化は紛れもない事実である。アメリカが地政学的見地から中国を重視している理由がそこにある。6カ国協議の議長を中国が務めるのに甘んじている理由がそこにある。日本はビジョンを変えないと、置いてけぼりを食うのではないか。

都市へ稼ぎに行く農民の大群に機会均等なし

 農民の大群は食っていけないし、子供や孫にこんな思いをさせまいとして高等教育の授業料を稼ぎににいくいが、かれらが成功し、豊かになる機会は滅多にない。成功する道は都会人にほとんどにぎられている。

 都会人はすでに高等教育を受け、都会人のの住民戸籍と農民の住民戸籍は一目でわかるからだ。それに中央政府は農民に課税し、地方政府は地方政府で農民に課税している。

 こういうことから、どうしても都会人のほうが有利になってしまう。
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by burari-skuri | 2007-08-23 22:00 | 論点
供給連鎖管理(CMR)を地球規模で行う

 世界最強のITインフラ提供企業IBMの2006年アニュアル・レポート(営業報告書)を仔細に読むと、ネット社会におけるグローバル企業の生産性、効率追求のいきつくところが見えてくる。つまり、グローバルな競争市場で生きてゆくには、企業自身が変身して、IT(Information Technology=情報技術)を地球規模で駆使し、SCM(Supply Chain Management=供給連鎖管理というソフトウェア技術)をフルに利用するように自己革新しなくてはならないことを意味する。コンピュータ業界では、最近、ICT(I & Communication T)という言葉が頻繁に使われだした。大事なことは、SCMを敏捷に行うことである。昨今のように人間の側で管理がたるんでいてはなんにもならない。


 ITとはInformation Technology、すなわち情報技術であって革新とか、発明ではない。これからの企業の成長エンジンはイノベーションとか、インベンションではないのであって、技術に移ってしまったのである。いままでは学説とか仮説を塗り変える発見や、画期的製品の発明があったのだが、企業の生産性追求を突きつめていくと地球的規模の生産性追求と資源の利用になるのである。ということから、画期的発見でもなく発明ではないので人間としては面白みがなく転職してゆく人も出るといいうことだ。いままでもIBMディプロマといわれるくらいIBMは転職して再度の挑戦をしている人々(有名な経営者)を輩出している。

 さて話を続けるとしよう。情報技術に、Communication Technologyが加わるわけだ。すでに進みつつあるが、半導体は情報処理を並列にやってのける個々のハードウェアの属性情報(例えばワイン自動販売機)までを含んだタグと呼ばれるシステム(センシング・システム)技術に適用がひろがりつつある。これによって例えばコカコーラはどこに置いてある自動販売機が最もよく売れ、在庫なしが生じて機会損失がないようにすることができるようになる(バーコードは値段情報を含むだけである)。

 ネット社会というものは、基本的に開放型であり、開放を実現する標準を守っていればどこのサーバーでもつながり、そのアプリケーションを実行できる世界であるから、基本的に中央集中型ではなくて、分散型なのである。だからコンピュータ・メーカーは著作権を主張しないLINUXと呼ばれる開放型のOS(オペレーティング・システム=コンピュータを動かすプログラム)につながる標準(コンセントのように差し込めば電気を使えるような規約)を守っている。

 したがって、安倍内閣のように中央集権的に改革をし、経済成長を進めていけば美しい日本がつくれるのではない。その国の文化を大事にしなければならない。田舎に行けば清々する田んぼがあり、そこにはまだおじいちゃん、おばあちゃんがまだ生きていて、細々と農業を守っているから田んぼがあるのだ。

 だが老いのため、あしたはどうなるかわからない。その火もこのままでは消えようとしている。すでに日本全国を見ても自然そのままの海岸線はない。コンクリートの道路が広がっている。「老が老を介護している現実」を偉い人々に見てもらいたい。地方分権への時代の風が吹き始まったのだから。

ITの最先端をゆくIBMの仮想化技術-3900台のサーバーがやってきた情報処理を向こう5年間に30台に統合

 IBM米国本社が8月1日に発表した仮想化技術はきわめて強力で、従来3900台のサーバーがやってきた情報処理を今後5年間とはいえ、たった30台のサーバーに統合、それまで3900台でやってきアプリケーションをやってしまうという。もちろん、それによって省力化できる部分はより高級な頭を使う労働ニーズが出てくると考えられる。

 IBMは自分のことを企業自己革新を助ける革新者(Innoovator's Innovator)と位置づけ、ユーザー企業の自己革新、地球規模の資源利用を助けつつあり、そこに成長エンジンを見出している。

 仮想化技術というのは、簡単に言えば次のようだ。いまの消費者がもっているパソコンは非常に強力だ。ソフトウェアがいくつも入っていていろんなアプリケーションをこなすことができる。なかでも重たい情報処理は写真を撮り送るということだ。いまでは携帯でさえ他人の携帯へそれを送ることができる。もしパソコンなら相当重たいことができる。仮想化メモリーとは、昔、「人工現実感」と言っていたが、まるでひとつひとつのアプリケーションのメモリー(記憶装置)がひとつひとつの手元にあるように感じるバーチュアル・リアリティと呼ぶ技術である。事実は手元にないから、カセット・テープ・レコーダーならその絵で表す。写真を送る場合はリムーバブル・ディスク・ボックスの絵で表す。

 個々のアプリケーションは、ネットにつながっているどこかのサーバーを使う個別のファイルとして使う技術である。これが仮想化なのである。個別の写真はファイルとしてのアイコンになる。

 IBMのグローバル・サービス部門では世界中のブロック、ブロックにサーバーを配置して、企業の自己革新を助けてきた。IBMが何台のサーバーを置いてユーザー企業の自己革新を手伝ってきたか知らないが、今度発表した仮想化技術は実に最大3900台のサーバーでやってきた情報処理をたった30台のサーバーでこなしてしまうというものである。

 IBMのユーザー企業はP&Gとか、トヨタというような大企業が多いからユーザー自身もサーバーを何台も配置している。ニーズはそれらのサーバーにも及ぶだろう。IBMはもちろん、仮想化技術がもたらす省力化、エネルギー節減効果は測り知れない。

 IBMが言及しているのは、これからはつなぎの技術という部品化現象が起こり、中小企業も売り込み先になっていくということである。

 そこで、市場はIBMだけでなく、他のメーカーも自分の強いグローバル市場を開拓するだろう(例えばキャノンやゼロックスはコピヤーとコピー用紙をますます売ることをめざして)。だが、メーカーが存立し得る市場の大きさは数社である。

経済成長だけではワーキング・プーアはなくならない

 ユニクロは若い人の高級感と安さを当てて市場を見つけ出した。だが、例えばレナウンは高くても高級感と、それを裏打ちするシャツの色が欲しいために工場をイタリアに置いている(工場は合弁会社か)。たとえ高価でも買う人はいる。
 
 お年寄りを大事にしてきた日本の文化を取り戻さなくては、美しい国は実現するはずがない。
韓国、東南アジア諸国ではお年寄りを大事にする気風がそのまま残っている。フィリッピンとの間ではヘルパー受け入れ協定を結んだ。あちらは研修で一生懸命に日本文化を学んで味噌汁の作り方さえマスターしようと努力している。それに年寄りを敬い大事にする心がある。だのに、なんで大卒の条件をつきつけるなかわからない。
 
 日本では昔は働けばそれなりの成功報酬が得られたのに、いまは得られずに、ワーキング・プーアが増えている。大企業で働く人々との格差は広がるばかりだ。全国約3400店のネットカフェ難民といわれる人々は5400人ということが厚生労働省の初の調査でわかったと報道されている。この人たちは大部分が20代だそうだが、50代の人々にもひろがっているという。企業たるものはSCR(Social Corporate Responsibility=企業としての社会的責任)があるのだから、何でもかでも成長と利益追求のためにパートを増やして、人件費を節減しようとするのはおかしい。歯止めの法制化が必要なのではないか。20年、10年前にくらべてこれらの人々の労働内容ははるかに複雑、高級化しているのだ。

 希望なくして、また自然そのままの海岸線なくして何が経済成長かわからない。
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by burari-skuri | 2007-08-10 20:10 | 論点
なつかしの小学校唱歌を歌う

 病室に入ると、幸子はすぐわかって喜びの声をあげました。包帯は取れて1週間前にかさぶたになっていた皮膚はとてもきれいになっていました。しばらくして、悠一郎がなつかしの唱歌集を歌うと、「ふるさと」や「海」のように静かな歌は息が静かになり、「猩々寺」のように陽性の歌を歌うと「アハハ」と笑いだしました。
 
 ところが、「通りゃんせ」を歌い、2年ほど前に電車に乗り駅から歩いて行った亀戸天神の話を向け、「お母さんも行ったね。赤い橋があって藤が咲いていたね。あそこ神社は大きいね」というと、幸子は身を乗り出し、「そうですね」と答え、ほとんど横向きになって「ハア、ハア」と息が荒くなりました。悠一郎があわてて介護士さんに聞くと、「大丈夫」ということでした。

 かわいそうに腰には床ずれができています。だから3時間ごとに体位を左右に変えるのです。
悠一郎のギックリ腰の骨のいたみは、幸い一段と良くなりました。

 幸子が何かを訴えるように表現しようとしますが、表現になりません。「そうか。そうか」、悠一郎はもう1度手をにぎってやりました。いつまでも、こうしてやりたいと思いました。しばらくして、悠一郎はそっとさりげなくバスの停留所に向かったのです。


 
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by burari-skuri | 2007-08-08 19:51 | 介護・老い
目と目を合わせて

 (8月6日)悠一郎はギックリ腰の骨の痛みが大分良くなったので、7月31日(水)に幸子に面会してくるつもりでしたが、この日はあいにく台風の余波で雷雨と予報、面会は8月1日(水)に延期しました。病室に入ると幸子はすぐ喜びの声をあげました。

 看護師、管理栄養士、介護士の人々がかわりがわり声かけと様子を見にくる(医師は午前中)と喜びの声が大きくなり、悠一郎だけになると目と目を合わせて静かになります。「耳が良くてときどき冗談を言ってくれ、アハハと笑ってくださるんですよ。私たちは励まされます」。幸子は「いつも前向きでえらいなあ」とけなげさといじらしさを感じ、「一人住まいの自分は淋しいからといってしっかりしなくっちゃあ」と思います。

 この日、幸子は左手に包帯を巻かれ、右手の甲は左手のつめでかきむしったかさぶたのあとがついていました。看護師さんに包帯の理由をきくと、「指の股にできものができるからですよ」と言われました。山梨の姉と伊豆の妹が面会にきたときは、在宅時に回転椅子から落ちまいとして右手をぎゅっと握っていた状態ではたまたまなかったのでした。

 広間におられる認知症の女性のお年寄りの一人が、かん高い声で、「私はどこにいるの?教えて頂戴」と言うのが聞こえてきます。ちょうどトンネルのなかを歩いているときに例えれば、はるかかなたに一条の光が見えているように感じるのですが、一向に出口が見えてこないので、心細くてしようがないのと似ています。しかも、現段階ではアルツハイマー型認知症の完治薬はありません。先日、安倍内閣の麻生外務大臣が中国に高い日本の米rが輸出されるようになりつつあるスピーチのなかで、「日本の米がおいしいということは、アルツハイマーの人でもわかる」と口をすべらしたことに憤りを感じます。

 そろそろバスが来る時間がやってきそうです。「お母さん、大丈夫だからね」と言うと、黒い瞳が悠一郎の瞳を見つめています。落着いた状態です。

 胃ろうの状態は順調で、微熱があるけれども差し障りないので、週に2度は入浴できているという話です。「お世話になります。よろしくお願いします」。悠一郎は1週間後にまたくることを心に決めて、さりげなくバスに乗ったのです。
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by burari-skuri | 2007-08-06 10:00 | 介護・老い