介護の現実を描きます。ITトピックスをお知らせします。旅と歴史を描いた私のHP「日本ぶらり歴史の旅」(英文もつくってあります)http://www.ab.auone-net.jp/~nut/にもぜひアクセスしてください。


by burari-skuri

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過去1週間食事をせず点滴で

 幸子はその病院に入院以来、医師、看護師、栄養士、介護士が一体となってこれ以上できないほどの介護を受けながら暮らしていますが、本人は日ごろから人様に気を配る性格です。
デイ・サービスやショート・ステイサービスに行ってても、いつも感謝、感謝の気持ちは変わらず、いつもニコニコして職員の仕事を手伝ったり、言葉をかけるものですから、職員から喜ばれ励みになると聞かされています。両親からそういう昔の教育を受けたのでした。この病院でも同様です。

 院長先生も自ら電話で様子を伝えてくださっていますので、安心です。ですが、幸子の認知症はアルツハイマー型で、末期にさしかかかっているものですから、いかんせん幸子の食べものを認識する機能は日に日に弱くなって、とうとう1日に1食も食事のとき口を開かなくなってしまいました。

 そこで点滴で栄養を摂取するほかなくなったのです。初めは静脈から点滴ですが、そのうちあちこちの血管が青く膨れ上がり、痛々しく見えるようになるのはよく多くの病院で見られますね。栄養を本格的に摂取するには、胃ろう(婁)の手術ということになります。いまは医術が進歩して知り合いのお医者さんに意見を聞くと、みんな「それはよいことだ」と答えます。手術は内視鏡によって行われ、短時間で済むということですが、高度の技術を駆使し、専門の病院で行われます。ですからその間、そこへ入院ということになります。

 悠一郎はギックリ腰で老いと闘いながら、日一日と骨の痛みに耐えていますが、6月7日、ようやく骨の痛みに耐えながら、幸子と面会できるようになりましたので、公子と待ち合わせて面会に行ってきました。公子は月、火、水、木と毎日母親のために様子を見に行ってくれました。公子の存在は絶大の価値があります。もし公子がいなかったら、今日までの在宅介護はできなかったでしょう。ですが、もう限界にきていました。老健のEB介護施設への診療情報提供書のなかで主治医のY先生は、「ご家族が疲弊してきているので、何卒お受け入れをご検討ください」と書いてくださいました。そしてその老健が今度のユニークなケアをしてくれる都近県の病院を紹介してくださったのでした。無理に無理を重ねてきた公子は、よくここまで介護をマスターしたものだとあちこちの施設の職員から言われます。

アルツハイマー末期一段と進み、痛々しい

 悠一郎がデイ・サービスへ幸子を送り出すときは、「お父さん」と表現できなくても、安心と不安がまざった表情をしていて、夕方帰ってくるときには元気になっていました。参加型のこのデイ・サービスをしてくれる介護施設へはユニークなケアをしてくれる都近県の病院へ入院する前の日まで通ったのですが、入院の前日家まで送ってくださった二人の職員は泣きそうな顔をしていました。
 
 悠一郎が胃ろう手術をしてくださった病院へ着いたときの幸子の様子は、目は遠い遠いほうを見つめ、ベッドにはもち肌の色白のお人形さんが横たわっているように見えました。静脈はあちこちはれあがり、より多くの栄養を送るには中心静脈からということになり、胃ろうの内視鏡手術前には中心静脈にから点滴となりました。大たい骨のつけねに針をさすのです。7日は胃ろうの手術も終わっていました。上にも書いたように、医学の進歩で、知り合いの先生に意見を聞くと、みんな胃ろう手術を受けたほうがいいとおっしゃいます。ただ、胃ろうの手術は高度の技術がいるので、専門の病院へ長くて1週間ぐらい移らなくてはなりませんでした。ここでもお医者さん、看護師、介護士の方々はよく世話をしてくださり、声かけをしてくださいました。

 内視鏡がすんなり喉を通るかどうかが心配でした。ですが、うまい具合に喉を通すことに成功し、その際にくわえるマウスピースのあとが口のまわりに痛々しくついていたそうです。「なので、お父さんはショックかもしれないわ」と聞いていましたが、一夜にしてきれいになっていました。「お母さん、よかったね」というと、別世界の遠い遠いところを見つめた顔が目の前に横たわっています。

 6月7日は退院し、元の病院へ帰りました。帰ったとき、幸子は安心したいい表情に変わり、エレベーターにのるとき、「済みません」と礼を述べました。感謝、感謝の気持ちからでしょう。


内視鏡胃ろう手術のとき、ガンが発見される

 胃ろう手術のとき、進行性のガンが発見されました。先生がおっしゃるには、治療すると寝る子を起こすようなもので、ガンの位置が下のほうで、胃ろうから離れたところにあり、胃腸は丈夫なのだから様子をみるほかないということです。幸い胃ろう手術の結果は順調で、入浴もできていますし、公子や姉妹が伊豆から面会に行ったときは、胃ろう効果が現れ意識がはっきりしていて、それぞれの名前を呼んだりしました。姉妹たちは、面会に行ってよかったと言っています。
 

 
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by burari-skuri | 2007-06-29 20:00 | 介護・老い
短期になおるなんて、とんでもない

  3.「老い」では、楽観的なことを書きましたが、ギックリ腰はそんなに甘くはありませんでした。老いは、これが人生というものだということを嫌というほど思い知らせました。確かに朝起きるときに激痛は走らなくなりつつあるのですが、外を歩いていると姿勢はひどく前かがみだし、第三者から見ると足元が危なっかしくて見ていられないようです。

 こんなことは、この歳になるまで経験しなかったことで、おかげで街を歩いておられるお年寄りの老いとの闘いの痛みがよくわかるようになりました。私は自立支援の認定1をもらい、リハビリ・デイ・サービスをやってくれる地域包括センターに週1回通っています。ですが、ギックリ腰になり、公子が家に帰ってからは独り住まいになり、ひきこもってしまいました。

 しかし、これに負けてはいられないので、精神を奮い起こして6月22日からリハビリ・デイ・サービスに通い始めました。センターでは職員の皆さんがみなあいさつと声かけをしてくれ、同じ境遇にあるお年寄りと輪になって体操をしたり、頭を使う問題をしたりできます。

偉い人たちに「老が老を在宅介護する現実」を知ってもらいたい

 なかには、重度の車椅子の奥さんを4年半も自分で介護してセンターへこられる80歳代の方とお話をする機会があります。この方は、元海軍航空隊におられた人で、奥さんは心臓が悪く、食事から排泄までの介護がほんとうにたいへんだったそうです。結局、奥さんはお亡くなりになり、いまは独り住まいをしておられるとのことです。「さすが海軍航空隊で整備に従事しておられただけある。すごいなあ」と思い、不器用で非力な私にはとうていできることではないと思います。

 「老いとの闘いで、明日はどうなるかわかりません。坂道を歩くと息が苦しい」などと、この方とお話ししたりしています。「私も同じです。家内の着てた衣服を見ると、どうしてもいろいろ思いだします。そして、落ち込みがちになります。だから、こういうところへ出てきてみなさんとお話しするんです。しかし、70を過ぎるといつどうなるかわからない。明日は死んでいるかもしれません」とおっしゃるのです。

 それにしても、介護施設の職員は、みな言葉遣いが良く、いたわりの声かけをしてくれ、使命感に燃えて介護してくれるのに、サラリーが安く、経営者は資金捻出に困っていると思います。(入浴、排泄介護は重労働で、食事介護は忍耐力が要ります)。人手も絶対人数が足りない。これでは介護界に希望はありません。偉い人たちに「老が老を介護する現実を知ってもらって、みんなが立ち行く政策を実行してほしい」と思います。
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by burari-skuri | 2007-06-24 15:03 | 介護・老い