介護の現実を描きます。ITトピックスをお知らせします。旅と歴史を描いた私のHP「日本ぶらり歴史の旅」(英文もつくってあります)http://www.ab.auone-net.jp/~nut/にもぜひアクセスしてください。


by burari-skuri

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神さまに生かされている気持ちに

 5月27日夜のことです。座っていて立ち上がろうとすると、それまでは激痛が走ったのですが、いすを手でつかまりながら立ち上がるとき、痛みがなくなっていくような感じがします。足のふらつきも軽くなっていくような気がします。腰をひねったのが5月8日のことですから、ちょうど3週間がたちました。とにかく、身体が軽くなってきたような気がします。やる気がもりもり1出てきます。有難いことです。

 これを機会に終生現役のIT評論は止めることにします。巨大ネットワーク インターネットの普及でITの世界はテクノロジーの世界へ様変わりで、もの忘れっぽくなった年寄りが取材に出ていくのでは記者会見先の受け入れ先が迷惑します。第一現場の記者は代変わりしていまや誰も知りません。悠一郎は広報責任者、これまで世話になった人々にあいさつして、現役をスッポリ止める決心をしました。それに公子のこれからの人生を縛りたくはありません。

 かといって、執筆活動を止めるわけではありません。これからはジャーナリストとして、介護の現実を冷静にブログに発信していこうと思います。それにホームページを充実していかなければなりません。板橋区の史蹟紹介もしなければなりません。英語版もそろえているホームページは少ないのではと思っております。すでに「小江戸川越」日英両版をそろえています。やることはいっぱいあります。
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by burari-skuri | 2007-05-28 18:31 | 介護・老い
この歳まで腰痛を経験したことがない

 悠一郎は幸子が入院する2日前の5月8日、幸子を公子と二人がかりで回転いすに座らせるとき腰をひねってギックリ腰になってしまいました。幸子が入院する日は痛みもなくそれっきり直るのかとたかをくくっていましたら、それから4日目の5月12日に腰に激痛が走りだしました。すぐにかかりつけの開業医のM先生のところへいき、応急のシップを処方してもらい貼りましたが、一向に激痛は去りません。「私は整形外科のことはわからないので、激痛が治まらなかったら専門の先生を紹介しますからきてください」といわれていたのでいきましたら、有楽町沿線のK駅近くのO整形外科を紹介してくれました。15日(土)午前のことです。電話をかけタクシーを呼び、滑り込みで受け付けていただきました。

 悠一郎はあと1ヵ月後に78歳。この歳になるまで肩こりや腰痛を経験したことがありません。ギックリ腰がこんなに痛いものとは知りませんでした。レントゲンを撮ると、腰をひねったときに、腰椎の1個がつぶれていびつな形になっているのがハッキリ写っていました。「このままの形で固まるのに3週間かかるので、それまでは骨が痛いでしょう」と診断されました。その日は骨を丈夫にする注射と、ビタミンDを補いカルシウムを吸収しやすくし骨をもろくしないクスリ、炎症を抑制するクスリ、胃の粘膜を修復・保護するクスリを1週間分もらって、ドシャ降りの雨のなかをトボトボと歩いて帰宅しました。

激痛治まらず-道ゆくお年寄りの老いとの闘いが見えてきた

 「骨は毎日の新陳代謝で自分でカルシウムを生産しながら固めていくのです。骨がそれまで激痛が走るのは避けられません。我慢するしかありません」とM先生は説明してくださいました。ここ数日の気温の乱高下で風邪を引き、土曜(5月26日)診断を受けにいったときのことです。かつてコルセットをはめたことある公子のすすめに従い、「コルセットをしていただきたいのですが・・・」とお願いすると、快く看護婦さんに指示して、ベルトの仕方を教えてくださいました。

 50数年前に肋骨を6本取り去る当時の先端技術の胸郭整形手術を受けて痛い思いを経験したとはいえ、その後まったく痛い思いを経験せずにきた結果、順風満帆の人生を送ってきた悠一郎はこのままいけば、人の痛みを知らない「お殿様」で終わるところでした。

 旧満州国にわたって銀行員になった父親の7人兄弟姉妹の末っ子として生まれ、両親のペットとして何不自由なく育ち、成人した悠一郎にとって、今度の経験は人の痛みを知るべく目を覚ます効果もたらしたと思います。ギックリ腰がこんなに痛いものとは知りませんでした。とにかく、中腰になろうとすると激痛が走るので怖ろしくて何もできません。とくに朝目がさめたとき、起き上がろうとすると「ダーン」と激痛が走るので怖くてしようがありません。

 外を歩くと、いたるところにお年寄りが老いと闘いながら、歩いておらられる姿が見えてきました。悠一郎がいまにも転びそうにスーパーへ向かっての買いものの道を歩いていると、見知らないお年寄りが「大丈夫ですか?」と声をかけてくださるのです(悠一郎自身、しっかりしていても、外から見ればそのように見えるのでしょう)。老いとの闘いがこのような形でやってくるとは思いもよりませんでした。


 
 
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by burari-skuri | 2007-05-27 17:56 | 介護・老い
悠一郎の体力回復いまだし、公子は異常出血

 BP介護施設へショート・ステイへ幸子を送り出すという4月16日夕刻、4月に新たにオープンを予定しているPR介護施設(老健)から電話がかかってきて、「ほんとうに申し訳ない」という言葉を聞きながら、入所を断られました。3ヵ月は心も身体も休まると思っていただけにピンチです。これで、断られたのは3軒目です。二人とも身体の力が抜け、どうしたらいいかわからなくなりました。公子が「私は疲れた」と言いました。

 もともと病弱の公子は無理に無理を重ねてきたので、婦人科の異常出血を起こし、組織培養検査をした結果、4月20日には幸いガンは生じていないことがわかりましたが、ショート・ステイ・サービスがすばらしいと思っていたところ3軒が、みんな手が足りないことを理由に断ってきたことに崩れ落ちるような衝撃を感じました。悠一郎は男甲斐もなく遅々たる体力回復に無念のホゾを噛んでいます。

 同じ老健のEB介護施設もいまの幸子の食事状況では手が足りないので、責任をもってお預かりできないと言ってきましたし、去年末に入居を延期した特養のBP介護施設が間一髪で入居許可を延期してきたことは介護メモ8で述べたとおりです。

 3軒ともまじめに介護精神を燃やしながらショート・ステイ・サービスを提供してくれているところですが、いかんせんいま介護保険界を岸を洗っている制度改革の波を考えると、手が足りないという理由を明らかにしつつ入所を断ってくるのです。

 悠一郎と公子はガックリきて、悠一郎は足元のふらつきがひどくなるし、もともと決して丈夫でない公子は異常出血を起こしてしまいました。公子は幸子の寝起き、トイレごとに幸子の身体ごと持ち上げながらベッドか、ポータブル・トイレへ誘導します。ものすごい力をださなくてはなりません。ここまでやるのは、もうプロの領域なのです。「力がいるんですよね。よくここまでおやりになりますね。普通だったらできませんよね」と公子は看護師の方々から感心されています。

EB介護施設泣きつき、ユニークな病院を紹介してもらう

 困り果てた悠一郎は、老健のEB介護施設に実情を話し、「このままの状態が続けば、もう共倒れになるほかありません。もう限界です。なんとか入所を受け入れていただけませんか?」と泣きつきました。EB介護施設では非常に心配してくれ、まだオープンしてから間もないユニークな都の隣県の病院を紹介してくれました。

 普通、病院というところは、「治療の世話をしやすくするためにすぐパイプを入れ寝たきりになってしまうところが多い」と言った、ある開業医先生のの言葉が忘れられません。紹介してもらった病院は全員重度の認知症のお年寄りですが、患者さんを自室に置きっぱなしするのではなく、一人、一人に合った個別対応の介護をしてくれるうえ、昼間はみんなと一緒のデイ・サービス環境を提供してくれるユニークな病院です。つまり、昼間はみんなと一緒に楽しくすごし、孤独ではないのです。そのためにそろえているスタッフは経験豊富だし、熱心で使命感に燃えているようすがよくわかります。

 4月下旬に医師の診断をう受けたときも、廊下ですれ違う職員は礼儀正しく、言葉遣いがきれいです。ちょうどこの日はお誕生日会をやっていました。診断の結果、その日に入院することが決まり、あとはわれわれで入院日を決めることになりました。ここなら安心して幸子をお願いすることができると感じ、帰宅しました。

いざ決まってみると淋しい-だが、独り暮らし環境を克服せねば

 入院は5月10日とスケジュールを組み、公子は幸子が入院した日に自宅へ帰り、さっそく孤独な独り住まいが始まりました。「公子よ。ありがとう。いままで公子が両親を支えてくれるのを許してくれた公子の夫、医師から重要な診断結果を告げられるたびに立ち会ってくれた夫よ。ありがとう」。

 悠一郎は孤独をしみじみ噛みしめながら独り暮らしを始めました。2度の欧州旅行と、日本の2月に真夏のオーストラリア、ニュージーランドに6度旅をしたときと、国内では神社仏閣、温泉を歩き回ったときに幸子が着ていた半袖シャツ、ズボン、ワンピース、帽子、スニーカーなどなど。目につくものすべてに思い出がしみこんでいて、」「さくら、さくくら 弥生の空をば・・・」。「夕焼小焼けの赤トンボ・・・」の小学校唱歌が頭に浮かんできて自然に涙がにじんできます。

 しかし、一方で不思議と足元のよろめきが取れつつあるような気がします。悠一郎は自立支援1の認定を受け、1週に1日、KM支援センターに通いデイ・サービスを受けていますが、80代後半の方々から、「淋しさを乗り越え10年ぐらいたつと、楽しかった想い出だけが浮かんでくるものですよ」と元気づけられます。

 「そうだ。しっかりせねば」と自分に言い聞かせ、「老いも、孤独もいいものだ」、斎藤茂太著を読んだり、「まだまだ自分には挑戦したいことがある。好きな語学ではひとつイタリア語に挑戦してみよう」と思ったりしています。こう考えるとやることはたくさんあります。

 
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by burari-skuri | 2007-05-14 11:56 | 介護・老い