介護の現実を描きます。ITトピックスをお知らせします。旅と歴史を描いた私のHP「日本ぶらり歴史の旅」(英文もつくってあります)http://www.ab.auone-net.jp/~nut/にもぜひアクセスしてください。


by burari-skuri

<   2006年 10月 ( 1 )   > この月の画像一覧

悠一郎の介護メモ-3

ショート・ステイを受け始める

別世界にいるがごとく

10月12日(木)
 10月10日は幸子の定期診断日なので、ショート・ステイ中の幸子を施設から連れ出しにKセンターへ立ち寄り、幸子を連れて病院へ行った。ここのショート・ステイは初めてであるが、一見して重症のお年寄りばかりで、雰囲気が淀んでいて活気がない。みんな椅子の背もたれに全身をあずけ、口をあけ、目をつぶっていた。

 幸子は悠一郎と公子を迎えても何の反応も示さず、目は遠い空を見つめるようだった。しばらくして、ふとわれに返り悠一郎と公子を認識すると、今度は手を震るわし涙を浮かべながら、「ここから出たいの」と訴えるようだった。認知症だから、その言葉が出ない。悠一郎は思わず幸子の手を握ってやった。暖かい柔らかな手だった。悠一郎と公子は即座に、「ここのショート・ステイ・サービスはだめだ。明日帰る日だけど、今日連れて帰ろう」と心に決めた。

 女性の公子は目ざとく、幸子の口の中に何度も噛んだ食べ物がいっぱい詰まっているのに気づいた。年をとると誰でも、食べ物がのどを通りにくくなり、気管支に行ってしまうことがよく起こる。これを「嚥下」といい、肺炎を起こすことがよくあると、「食事の介助」という本(桐書房)に書いてある。職員の働きぶりをみると、みんな一生懸命やっている。手が足りないことは、よく伝わってくる。しかし、何かが一本抜けているのではないか。ここのデイ・サービスは明るく、職員は思う存分お年寄りに声かけをしているのに、ショート・サービスは沈滞している。

キメ細かく機能を引き出してくれるところも

  とにかく日帰りのデイ・サービスにしても、数日から最長10日間預かるショート・ステイ・サービスにしても、個人一人一人に対応した心のこもったサービスを提供してくれるところを探すべきだ。たとえばT介護施設は、こじんまりしているが、幼稚園経営と直結していて、園児との交流もあるし、何よりも優れているポリシーは、お年寄りの個人一人一人の能力を引き出すように仕向けてくれるところだ。

 玉ころがしでペット・ボトルを倒すゲームをするとしよう。そこの職員は、お年寄り一人一人に「ハイ、今度は秋元さん。ボールを投げてください。何本倒れるでしょう?」「アッすごいすごい。5本も倒れましたよ。」「もう一回投げてみてください。今度は全部倒すつもりでね。わー、すごい、すごいですね」「ハイ、今度は山川さん。投げてください」といったぐあいだ。これを最低3回繰り返す。このようにして、必ず一人一人が参加するように仕向けるのだ。

 ここは食事のあとに必ず歯磨きをしてくれる。口の中を清潔にしておくことは、嚥下が起こらないようにする第一の要件だ。幸子は、T介護施設から元気になって帰ってくる。おトイレの誘導もこまめにしてくれる。女性の職員で、自分の言ったことに対して「うん」と言う人は一人もいない。みんな年寄りを敬う言葉を使っている。

 ここは送迎ワゴンの行き帰りのとき、家まで上がって「ヨイショ」と立ち上がり介助のところからサービスしてくれる。たった3ヵ月前には、悠一郎と手をつないで1キロは歩いたというのに、幸子は玄関前の階段の上がり降りさえたどたどしくなり、時には階段へ座り込むようになった。こうしたサービスは、悠一郎にとって非常にありがたい。

 B介護施設は、ショート・ステイ・サービスの迎えのワゴンをさしむけると同時に、預かってくれる間の到達目標を計画書として示してくれる。たとえば食事は、「おいしく、安全に食事ができる」ように、排泄は「トイレで排泄ができ、排便のコントロールができる」ように、心は「不安なく安心して過ごすことができる」ようにします、といったぐあいだ。安心して幸子を送り出す気になる。

 E介護老人保健施設は原則として3ヵ月間お年よりを預かり、その間に家に帰ったときには、自分で何でもできるようにリハビリを行ってくれる。そのためにリハビリのベテラン職員が他の施設の5倍そろえているのが特色である。

優秀で経験豊かなケア・マネージャを選ぶのがカギ

 東京は介護施設がたくさんjある。玉石混交である。このなかからいいところを調べ、選ぶのは大変難しい。しかし、まじめで優秀で、経験豊富なケア・マネージャだったらどこが誠実で、良いサービスを提供してくれるかを鋭敏に嗅ぎ分け知っているはずである。

 悠一郎の場合は、公子という馬力と実行力のある娘がいて、まず介護保険制度がどんなものであるかを早く読み取り、公の相談口に行ってよく事情を話して、一番事情にあったヘルパー・ステーションを紹介してもらい、そこのケア・マネージャと接触したが、幸いその人が良かった。

 いまはその人が別の施設に転職したので、その人が紹介してくれたケア・マネージャであるが、この人がまた制度に精通し、経験豊富で親身になって被介護者と介護家族のことを考えてくれる。

 たとえば板橋区のように裕福な自治体は、重度の要介護者に紙製のリハビリ・パンツやパッドを隔月に支給してくれるのだが、そのことを教えてくれる。そのことを知らなければせっかくの制度を余計な経費を負担することになる。

ふるさとに帰る

 幸子は遠い別の世界にいたり、それでいていい耳をしていて、悠一郎と公子の会話や、介護施設の職員の会話をきいていて、悠一郎や公子に返事をしたり、施設では他人の分まで返事をするのである。このため施設では、かわいい穏やかなおばちゃんとして好かれている。

 幸子はときどき、ふと「あーあ、どうしてこんなになったのだろう?」とか、「あーあ、私はもういい」とかつぶやいたりする。おトイレのパンツとズロースとズボンの上げ下ろしが済んだあとで深々と頭を下げ、「どうも有難うございました」という。悠一郎はそれを聞くたびにキュッと胸をしめつけられる。

 幸子のおさとは静岡県の土肥(現在は伊豆市土肥)で、5人姉妹と2人の弟がいる。一人も欠けずに、伊豆箱根鉄道沿線にに住んでいる。三女の幸子だけが東京へ出てきて、サラリーマンの悠一郎と結婚したのだ。「淋しかったろうな」と悠一郎は思う。

 悠一郎は、元気なうちに姉妹と弟に会わせてやろうと思い立った。幸子はもう電車に15分ものっていると、不安でいてもたってもいられなくなる。だからゆったりしたワゴン車で行くのがいいだろうと公子が提案した。

 こういう場合、公子と彼女の夫の大学時代の仲間のつきあいがものをいう。彼らはこういうときに対価を求めず、助け合うつきあいをいまも続けている。計画には公子の夫も参加してくれた。
レンタカーを借りて計画は、9月30日に快適に実行された。レンタカーの運転は、Wさんが買って出てくれた。彼は母親を7年間介護した経験の持ち主で、幸子が車に乗り降りするのを介助するときに、その経験を光っていた。「有難うございます」。悠一郎は感謝せずにはいられなかった。

 姉妹弟が函南の「遊とぴあ」温泉に入り、一堂に会する日は10月2日に設定した。姉が二人、妹が三人、やっぱり女衆はにぎやかだ。みんなつれあいともどもやってきてくれた。男衆はみんな頭が薄くなるか、真っ白になった。

 「さっちゃん、さっちゃん元気でよかったね。お風呂に入ろうね」。四方八方から握手の手が伸びる。悠一郎と公子はジーンときて、目が見えなくなるほどだった。今日ばかりは、安心して温泉三昧を楽しむことができる。3日に東京に帰って、悠一郎は「ああいいことをした」と思った。
 

 
[PR]
by burari-skuri | 2006-10-20 20:30 | 介護・老い