介護の現実を描きます。ITトピックスをお知らせします。旅と歴史を描いた私のHP「日本ぶらり歴史の旅」(英文もつくってあります)http://www.ab.auone-net.jp/~nut/にもぜひアクセスしてください。


by burari-skuri

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徘徊

 ふと目が覚めると隣のふとんに幸子の姿が見えなかった。「しまった」。悠一郎は急いで台所へとんでいく。案の定、幸子が台所から玄関ホールの板の間を通って居間へ入るところのガラス・ドアの開け方がわからなくて立ち往生していた。11月の半ばといえば、ときにはもう夜中の冷気は刺すように冷たいが、今年は特別に冷たい。

 「お父さん何してたの?ちゃんとしてくださいよ!」と言って幸子は、ぶるぶる震えながら悠一郎を睨みつけた。悠一郎は、「ごめんごめん、寒かったろう。かわいそうに。あっちへいって寝ようね」と、感情が高ぶるのをこらえながら返事をする。30分もしないうちに、また幸子がムクッと起き上ってトイレの方へ行こうとする。認知症は、3~4分前のできごとを白紙のように忘れる。ちかごろ、生来我慢強く、いつも夫を立ててきた幸子は怒りっぽくなった。気も短くなった。

 たとえば夫婦で歩いているときに、横合いから乱暴な運転をする若者の車が出てきて信号待ちしていると、「あんたたち、その運転はなーに?」などと睨みつけたりするし、レストランでご馳走を注文したあとに、傍若無人に大声で話すグループが入ってきてあたりがざわつくと、「お父あさんどうする?もう出ようよ!」と言うなり、席を立つ。あるいは、「私は帰る」といい、外へ出ようとする。まったく目が離せない。

 三度、三度の料理、あとかたづけ、洗濯、掃除の方法を忘れてしまったのだから、家事をすべて悠一郎がやらなければならない。家事はやればきりがない。悠一郎は中途半端にものをすることを好まない。家事は徹底的にする。しかし、男のやり方は非能率で、ぎこちない。一人では
到底カバーしきれるものではない。そのうちどんどんゴミがたまってくる。「お母さんは、大変な重労働をしていたんだな。しかも、手際よく、常に清潔を保ち、美味な料理を長年食べさせてくれたのだから、その才能たるや大したものだ。もしお母さんが企業につとめていたらいい仕事をしていたにちがいない」と感心した。

 「わたしは帰る」と前置きしての徘徊が多くなった。「よしよしそれなら行こう」と答えて、悠一郎は一緒にそこいらを歩き回る。それで幸子は、満足しておとなしくなる。これを「帰宅願望」というのだそうだ。そのうち、この「帰宅願望」は頻繁になってきて、一回りしてから家へ着いてからものの30分もすれば、「私、帰る」が始まる。夜中も昼間もかまったものではない。

 さすがに悠一郎は、疲れてきて暗澹たる気持ちになった。幸子は、幻覚を生じ、「階段のところに変な人が立っているので、おトイレに行けない」と言ったり、「そこの赤い机が・・・」と、赤い色の何かを連発するようになった。そのうち、「足が痛い!」とうなったり、「いたい!いたい!」というので、「どこが痛いの?」と聞くと、ふとんのふちを指差して「ここがいたいのよ!」と言ったりするようになった。

 幸いにして日本有数の老人病専門のA医療センターが家の近くにあり、悠一郎は1年前から幸子を連れてそこへ通院していた。悠一郎は「何かあったら、いつでも電話をかけてきてください」と言われていたので、主治医に電話をした。

 「アリセプトが悪さをしているんですかね?」こう言いながら、M先生は、「来週月曜日の午後、診断にきてください」と指示してくれた。

診断

 「アリセプトは副作用で興奮するので、アリセプトを飲むのをやめましょう」と言って、神経内科の物忘れ外来のM先生は、病気の進行を遅らせるアリセプトの投与を止め、精神安定剤のセロクエルと睡眠剤サイレース、便秘を緩和する酸化マグネシウムに変え、「ここからは精神科のO先生のご専門だからO先生に紹介しましょう」と、次からO先生の診断を受けるよう指示した。

 O先生はそれから2週間後の診断日に幸子にあったとき、開口一番ゆっくりした口調で、「いーくーたさーちこさん、こんにちわ。あなたのとしは、いくつですか?」と、聞いた。幸子は質問に答えられず、悠一郎の顔をみながら先生の質問を「オウム返しに、「いくつだったかね?お父さん」と言った。T先生は、精神安定剤をリスバタール、睡眠剤をレンドロミンへ変更し、便秘緩和剤は同じ酸化マグネシウムを処方し、「これでしばらく様子を見ましょう。いくたさちこさん。また2週間後にきてくださいね」とい言った。なんだかホッとした。

 幸子の様子は、いっこうに向上しなかった。相変わらず徘徊を要求し、就寝後数時間眠ったあと、午前2時ごろにいつの間にか起きて、たったまま悠一郎の顔を睨み、目が覚めた悠一郎に向かって、「お父さん、ちゃんとしてくださいよ」を繰り返した。

 こうした振る舞いは、便秘と関係があるらしかった。3日、4日と便秘が続くと、落ち着きがなくなる。2度目の診察のときにO先生は、「2週間入院して元のような生活のリズムをとりもどしますかね?」と悠一郎に言った。悠一郎は、「お願いします」というほかなかった。先生は、幸子に向かって「大丈夫。いーくたさーちこさん。2週間にゅういんしたら、よくなりますよ。にゅういんしますか?」とゆっくりした口調で言った。幸子は、このときはシッカリしていて、「ハイ。入院してなおすほかありませんかね」と答えた。  つづく(次回は「入院」)
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by burari-skuri | 2006-03-08 15:20 | 介護・老い
ブレード・サーバーの上にソフト、サービスをパッケージ化

 米IBMの子会社日本IBMは2月28日、ITトッピクス(1)に書いたグリッド・コンピューティングを実現するソリューション(問題解決策)の第1弾として、ハードウェア、ソフトウェア、導入・教育支援サービスをパッケージとして販売する「IBM Grid & Grow オファリング」を世界のITベンダーに先駆けて発売しました。

 ただ、このオファリングのプラットフォームとなるハードウェアは、ここ数年新種のコンピュータとして登場してきて注目されているブレード・サーバー(IBMの製品名は「ブレード・センター」)というビジネス系のサーバーで、今回のオファリングではAタイプ:ブレード・センター3枚構成から最大構成が6枚までをつないでシングル・システムとして稼働させるソリューションで、価格は最小構成(3枚の場合)で275万円からです。価格は、別々にブレード・センターを3枚購入した場合に比べて35%安となります。Bタイプは、7枚構成から最大構成14枚となります。最小構成の価格は、500万円からです。

ブレード・サーバーとは

 なお、ブレード・サーバーというコンピュータは、ブレード(刃)のようにうすっぺらい基盤にメモリー、ハードディスク、マイクロプロセッサーが配置されており、ブレード1枚が立派な独立した1台のコンピュータにあたります。これをラック・マウント(棚を重ねていく方式)に設計されているボックスに挿し込んでいけばブレード・コンピュータを増設できます。挿し込むだけで、従来のコンピュータのようにスパゲッティのような配線をしなくて配線が完了するようになっています。IBMのブレード・サーバーは、タテの棚方式ではなく,横に増設していく方式を採用しています。IBMがブレード・センター(BladeCenter)の製品名でブレード・サーバーを発売したのは2002年10月で、以来、IBMは日本のブレード・サーバー市場で第一位のシェアを維持しています。第二位はヒューレット・パッカード(HP)です。

 このような増設の容易性、コンピュータの経済性、性能の集積生、いわゆる計算センターや企業の情報処理部では、1990年代までのように大きなコンピュータを設置する必要が少なくなるので、将来、パソコン以外のコンピュータが4台使っていれば1台は、ブレード・サーバーになっていくという予測もあります。

 今回のIBMのブレード・サーバーに適用したグリッド・コンピューティングはまだ小規模にとどまっていますが、いずれ地理的に遠く離れている何十万台ものパソコンをインターネット上でつないで、巨大な計算をする事例が出てくるでしょう。

必要時に地理的に離れて設置されている数十台のコンピュータをつないでシングル・コンピュータ・システムとして稼動させるソフトウェアなら、ここ2~3年にコンピュータ・メーカーやユーザーから発表されていますが、今回のIBMのように、ハードウェア、ソフトウェア、導入・教育支援サービスをパッケージとしてソリューションを提案・販売するのは世界でも初のことといえましょう。

 もともとネットワーク上の数十万台のパソコンをつないでシングル・システムとしてスーパーコンピュータの役割を果たさせる発送は、科学技術界の要請ですから、いずれ大規模なシステムの事例がアカデミックな世界から登場してくるでしょう。
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by burari-skuri | 2006-03-06 15:20 | ITトピックス