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by burari-skuri

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夏祭りで


 悠一郎は、修善寺のある温泉の脱衣場で久々に体重を測って愕然とした。体重が5キロも減った。ここ4年間、妻の幸子は三度、三度の料理からすっかり手を引き、ここ2年というものは、あとかたづけの皿洗いさえ稀になった。よほど心が浮揚したときには、「私がお茶を入れてくるわ」というのだが、急須に茶を入れ、湯沸かし器からお湯を出す手順を忘れてしまったので、それができない。だからお客さんがきたときなどは、悠一郎がついていって準備するのが常になっている。

 あれは去年の夏だった。幸子が土肥温泉の夏祭りの演芸会の舞踊で演じられた「荒城の月」に唱和して歌った.悠一郎は、ときどきハモニカを吹く。あのレトロな音色が好きだからだ。「兎追いしかの山 子ぶな釣りしかの川・・・」、「青い目をしたお人形は アメリカ生まれのセールロイド・・・」、「メダカの学校は 川のなか、 ちょっとのぞいて見てごらん・・・」。「荒城の月」もそのひとつであった。

 幸子は、ひごろめったに歌唱を口ずさむことはなかった。朗々と、済んだ声で幸子は歌った。両眼は遠い、遠い世界を見つめ、表情は現世にない。それを見て、悠一郎は悲しみがこみあげてきた。夏祭りにさそってくれ、伊豆長岡駅から土肥まで車にのせてくれた姉妹は、この様子に気がつかない。もちろん、血のつながっていない他人にわかろうはずがない。幸子は、遠くを見つめ実に幸せそうに見える。

 それなのに、日常会話は普通に受け答えする。幸子は、手が器用で悠一郎が、鉄のカーテン時代に西側のベルリンから買ってきた皮のオーバーが古くなったとき、自分で工夫して皮の手提げをいくつかつくり、姉妹に配ったりした。その器用さがいまも語り草になっている。「さっちゃんは皮の手提げをつくってくれたり、シュークリーム、ババロアをつくって食べさせてくれたり、あんなに器用だったのに、いまはお人形さんみたいになったのね」と妹の一人が涙をこぼした。

 幸子がアルツーハイマー病にかかっており、海馬の脳細胞がスキスキだと主治医から告げられてから10ヵ月になる。悠一郎には、旧制中学校のクラスメートに、S国立病院院長をして、いまは退官したS君がいる。彼はクラスメート思いで、なにかと相談にのってくれる。

 S君によると、「もの忘れの認知症」には,脳血流の異常と、アルツーハイマーの2種類があって、前者は肢体不自由が生じるが、完治も可能である。しかし、後者は原因不明だし、いまのところ治療としては、世界にただひとつ病気の進行を止める(というよりも遅らせる)アリセプトというクスリがあるだけである。 

 それから10ヵ月、とくにこの半年の間にアルツーハイマー病は足早に進行し、幸子は日常会話の脈絡が合わなくなってきた。


今の医学は、アルツーハイマーに対して無力

 日本経済新聞2005年7月31日号医療欄に「認知症治療早期発見カギ」という比較的大きな記事が出た。悠一郎は、」それを読んでガッカリした。

 2005年8月上旬のテレビを見ていたら、ノーベル賞候補の日本の学者がこういうことを話していた。人間は細胞を60兆もっている。人間の個性を形づくっている遺伝子は、全体の0.1パーセントに過ぎず、99.9パーセントの遺伝子は共通である。遺伝子の97パーセントは眠っており、動いているのは3パーセントにすぎないことがわかってきた。これらの眠っている遺伝子を活性化できたら、たいていの難病はなおってしまうだろう。(9月2日のテレビ・ニュースによると、実は70%のDNAが重要な役割をつとめていることを日本の理化学研究所など国際研究チームが突き止め、その内容が2005年9月2日づけの米科学誌サイエンス上で発表されたそうである)

 人間の病を治す作用をするのは、健全な笑いであって、心からの笑いは病を癒す。笑いは、副作用もないし、いい効能があるだけだ。医学は日進月歩というが、がんの治療薬は副作用が強くて、人間を死に追い込むし、アルツーハイマー病の治療薬は、病の進行を遅らせることはできても、治癒することはできない。

 しかし、いつの日にか、異常な遺伝子を正常な遺伝子で置き換える医療が実現するに違いない。アルツーハイマー病患者は、150万人といわれ、10年後にはあと70万人増えると予測されている。その日を藁をも掴む思いで待っている介護家族はもっと多い。

 アルツーハイマー病は、人間の後頭部にある海馬の遺伝子が密接に関係している。海馬は長期記憶と短期記憶、数分前の記憶と、これらの記憶の連動作用に関係があるといわれる。異常発生の解明と完治医療の登場が待たれる。

 わが妻は  遠い空見つつ朗々と 春高楼の花の宴 を歌いぬ。
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by burari-skuri | 2005-08-19 16:00 | 介護・老い