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介護の現実を描きます。ITトピックスをお知らせします。旅と歴史を描いた私のHP「日本ぶらり歴史の旅」(英文もつくってあります)http://www.ab.auone-net.jp/~nut/にもぜひアクセスしてください。


by burari-skuri

2.老い 幸子を支えてギックリ腰になる

この歳まで腰痛を経験したことがない

 悠一郎は幸子が入院する2日前の5月8日、幸子を公子と二人がかりで回転いすに座らせるとき腰をひねってギックリ腰になってしまいました。幸子が入院する日は痛みもなくそれっきり直るのかとたかをくくっていましたら、それから4日目の5月12日に腰に激痛が走りだしました。すぐにかかりつけの開業医のM先生のところへいき、応急のシップを処方してもらい貼りましたが、一向に激痛は去りません。「私は整形外科のことはわからないので、激痛が治まらなかったら専門の先生を紹介しますからきてください」といわれていたのでいきましたら、有楽町沿線のK駅近くのO整形外科を紹介してくれました。15日(土)午前のことです。電話をかけタクシーを呼び、滑り込みで受け付けていただきました。

 悠一郎はあと1ヵ月後に78歳。この歳になるまで肩こりや腰痛を経験したことがありません。ギックリ腰がこんなに痛いものとは知りませんでした。レントゲンを撮ると、腰をひねったときに、腰椎の1個がつぶれていびつな形になっているのがハッキリ写っていました。「このままの形で固まるのに3週間かかるので、それまでは骨が痛いでしょう」と診断されました。その日は骨を丈夫にする注射と、ビタミンDを補いカルシウムを吸収しやすくし骨をもろくしないクスリ、炎症を抑制するクスリ、胃の粘膜を修復・保護するクスリを1週間分もらって、ドシャ降りの雨のなかをトボトボと歩いて帰宅しました。

激痛治まらず-道ゆくお年寄りの老いとの闘いが見えてきた

 「骨は毎日の新陳代謝で自分でカルシウムを生産しながら固めていくのです。骨がそれまで激痛が走るのは避けられません。我慢するしかありません」とM先生は説明してくださいました。ここ数日の気温の乱高下で風邪を引き、土曜(5月26日)診断を受けにいったときのことです。かつてコルセットをはめたことある公子のすすめに従い、「コルセットをしていただきたいのですが・・・」とお願いすると、快く看護婦さんに指示して、ベルトの仕方を教えてくださいました。

 50数年前に肋骨を6本取り去る当時の先端技術の胸郭整形手術を受けて痛い思いを経験したとはいえ、その後まったく痛い思いを経験せずにきた結果、順風満帆の人生を送ってきた悠一郎はこのままいけば、人の痛みを知らない「お殿様」で終わるところでした。

 旧満州国にわたって銀行員になった父親の7人兄弟姉妹の末っ子として生まれ、両親のペットとして何不自由なく育ち、成人した悠一郎にとって、今度の経験は人の痛みを知るべく目を覚ます効果もたらしたと思います。ギックリ腰がこんなに痛いものとは知りませんでした。とにかく、中腰になろうとすると激痛が走るので怖ろしくて何もできません。とくに朝目がさめたとき、起き上がろうとすると「ダーン」と激痛が走るので怖くてしようがありません。

 外を歩くと、いたるところにお年寄りが老いと闘いながら、歩いておらられる姿が見えてきました。悠一郎がいまにも転びそうにスーパーへ向かっての買いものの道を歩いていると、見知らないお年寄りが「大丈夫ですか?」と声をかけてくださるのです(悠一郎自身、しっかりしていても、外から見ればそのように見えるのでしょう)。老いとの闘いがこのような形でやってくるとは思いもよりませんでした。


 
 
by burari-skuri | 2007-05-27 17:56 | 介護・老い