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by burari-skuri

東京・板橋区のほのぼの熱帯館

徳川将軍家光が狩をした高島平

熱帯館のある高島平は武蔵野の一角を占め、江戸時代に3代目将軍徳川家光が狩をした「徳丸が原」という広大な原っぱに隣接しています。板橋区の資料によると、将軍が諸大名を従えて狩をしたときしとめた獲物は、数十頭の鹿を始め、おびただしい数の鳥獣だったそうです。これらの獲物は、ほとんど諸大名に下げ渡しになったと伝えられます。

年配の方がたは「高島平」と聞くと、戦後のマンモス団地の最初の建設地のひとつだったことを覚えておられるでしょう。ここだけで2万人からの人びとが住んでいる巨大団地です。十数階の共同住宅のハシリでもありました。昭和40年代に建設されました。

江川太郎左衛門が師事した洋式砲術の高島秋帆-地名の由来

高島平の地名の由来は、幕末に幕府の侍たちに砲術を教えた高島秋帆の苗字からきています。幕末の地方代官としていまの静岡県韮山に屋敷を構えていた日本のダヴィンチとか、ゲーテといわれる江川太郎左衛門は、大砲を製造する反射炉を建設したことで有名(その反射炉は現在、韮山の名所のひとつになっています)ですが、彼も洋式砲術を高島秋帆に師事しました。

高島秋帆は、徳丸が原で大砲の実射を含む砲術の演習をしたのですが、そのうちの砲身のひとつが、下赤塚の松月院という寺院の境内の一角に記念碑として残っています。ついでですので、そこへ行く道順を書きますと、東武鉄道東上線の電車に乗り、八番目の下赤塚駅で下車、線路に直角のバスが通る路(春にはずっと続くハナミズキの並木の開花を見ることができます)を約20分歩くと、線路に平行の大きな道路と交わる四つ角に至ります。その四つ角を渡って右側が松月院です。ちょっとした大きな寺です。

もうひとつ、ついでですからつけ加えますと、さらに線路に直角の路を歩くと、行く手の左側の丘のうえに巨大な東京大仏がクッキリと姿を現わします。大仏は乗蓮寺の境内にあり、約8メートルの高さで、奈良、鎌倉に次ぐ大仏です。乗蓮寺は、徳川家康が10石の朱印地を寄進した格式の高い寺です。また、8代目将軍吉宗が、鷹狩のとき、休憩所にしていたと伝えられます。

珍種の植物が多い熱帯館

板橋区の人口は約53万人で、そのうち外国人は約1万5,400人ですから、30万人以上の川越市や約11万人の三島市の人口からみて、一般的に地方都市の2~5倍の規模です。人口が多ければそれだけ裕福と思われます。それだからか、板橋区にはプラネタリウムを備えた科学館や、熱帯植物を専門に集めた植物館など、面白い館が多く存在するのではないかと思います。

さて、今日のテーマの熱帯館には都営地下鉄の高島平で下車、徒歩で5分のところの区営温水プールの隣にあります。私はシロウトでわかりませんが、この熱帯館には珍種の熱帯植物が多いようです。入場料は、大人200円(65歳以上は100円)ですが、4月から220円になります。

地下の展示場から上へ上へと歩く順路の最初は、小規模な水族館といっていいでしょうか。ここでは、細長い枯葉が水中をタテに漂っているような魚たちや、骨が全部透けて見える骸骨のような小魚たちや、ほんとうに竜が産み落としたようなタツノオトシゴたちが泳いでいるのが見られます。

1階への入り口は、水槽の中を泳ぐ魚群を見られるマングローブの林になっています。順路を進むと、バニラ、ヒカゲヘゴ、アマゾンユリ、アンセリウム・アントレアタム、ビョウタコノキといった舌を噛みそうな名前の熱帯植物がわれわれを迎えてくれます。

長くなりますから、ここでは二つだけ写真をお目にかけます。上の写真は、ビヨウタコノキ(アカタコノキ)の実です。メスとオスの木があり、オスの木は橋になっている通路をまたいだ反対側に生えています。原産地は、マダガスカルだそうです。一見したときは、ドリアンではないかと見まがいますね。

下の写真は、高山に生殖するキキョウランの実です。3ヵ月ほど前に咲いていた花もこのように可憐で澄んだブルーでした。実になっても、このように宝石のようなブルーを保っている草花は珍しいのではないでしょうか。

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by burari-skuri | 2005-03-11 20:24 | 植物館と植物園